寝ゲロの功名

友達を泊めたら、寝ゲロされた。
枕を捨てた。
ベッドをどうするか迷ってたら(洗って使うか、安い折りたたみベッドなので使わないことにしちゃうか)無印のベッドを友人から貰った。

転んでもただでは起きないよ!

で、事故の話

無事抜糸しました。
まだ目充血してて、怪我の後も残ってるけど、一応復活です。
抜糸した日と、通院終了した日に、こちらから電話で加害者側に連絡しましたが、加害者側からは未だに連絡ありません。


8日昼に通院終了した旨を伝えたら、「治療費等いくらか分かるようにしておいてください。追ってこちらから連絡します」と言われたので、その日の夜くらいに連絡来るかなぁと思ってたら、来ませんでした。
まぁ忙しいみたいだから、土日のどっちかには連絡くるかなぁと思ってたら、来ませんでした。

事故った

まぁアホみたいなネタはともかくとして、事故った。
人生で初めて救急車で搬送された。
人生で初めて縫った。六針だった。


こんな感じで、信号待ちで停車中の車の間から出てきたカップル二人乗り自転車と、車の横を走っていた俺が衝突。
相手の自転車の横に、俺が正面からぶつかって、見事に前のめりに回転して、顔から着地。


相手のことは個人情報とかあると思うのであまり詳しく書けないけど、3月30日午後3時40分頃、世田谷で頭からダラダラ血を流して倒れている人を見た方、それ多分俺です。


眉の上を切ったので、物凄い血が出てたっぽく(いまだ現場に痕跡有)相手の方が救急車を呼んでくれた。
で、あれよあれよと言う間に救急車に乗って、病院へ。
CTとレントゲン撮ったけど幸い骨折はなく、左眉毛部挫傷と打撲で済んだ。
左眉毛の上を六針縫って、打撲箇所に湿布貼って終了。ちなみに、ほお骨もおもくそ打って擦り傷&腫れが酷いので、縫ったあとに貼ったガーゼとかはがす時痛い。


自転車同士の事故なんだけど、怪我して救急車呼んでるので過失傷害扱いっぽい。フツー自転車同士だと、面倒だから物損事故で終わらせちゃうって聞いたんだけど、警察署がちゃんとしていたと考えていいのか。
ただ、自転車事故なので相手も保険とか入ってないっぽく、治療費の請求とかで面倒なことになりそうな予感。
ちなみに事故後、相手の自転車運転していた人とは一度も会ってません。電話も一度来たきりで、こちらから電話しても折り返し無し。
物凄く面倒なことになりそうな予感。


twitterでもグダグダ書いたけど、きっちり意思表明しないと、治療費の一部だけ出して貰って「もういいや」ってなっちゃいそうなので、あえて書く。
無職になった後、生活のためにプール監視のバイトを始めたんだけど、顔面縫ってるのでバイトに入れず、そうすると当然給料に響くわけで、治療費と休業補償は絶対貰う。
てか、治療費が既に一万以上かかってるので、今月の家賃払えません。
更に本来であればチャリとiPod touchも弁償して欲しい所だけど、減価償却とか考えると面倒だからスルー。
当初は上記内容程度貰えればいいやと思ってたけど、冷静になるにつれ、怒りを覚えるポイントが多々あったことを思い出し、更に「あれ、これバイク同士だったとしても、過失割合90:10とかじゃね?」と気づいたので、自動車事故のケースのつもりで対応することにする。
慰謝料は、現時点で通院二週間は確定なので、その分の一般的な相場程度は請求する。
請求するったらする! うおおおおお、俺は請求するぞジョジョ!!
過去ッ!! 自動車に轢かれてっ!! 5万するチャリなのに2万しか受け取らないでなぁなぁに終わらせた時の轍は二度と踏まん!!!


自分を鼓舞しないと、なんか変な罪悪感から請求出来ない。

  • 事故った直後、用事あるから同乗者が残るんで自分は行っていいですかとか言い出すのあり得ないだろ!
  • 当日、用事終わった後、直ぐ警察署来いよ! なんで同乗者は警察署で治療終わった俺が戻ってくるの待ってるのに、本人は実家帰ってから夜電話してくるんだよ!
  • 当面の治療費をとりあえず立て替えるとか、そういう心遣いないの?
  • わざわざ見舞いに来るの面倒なのはわかるけど、嘘でもいいから社交辞令的に「一度お見舞いに伺おうと思うんですが」とか言うべきじゃないの?
  • こっちから電話してるのに折り返し電話してこないのは何でなの?

うぉぉぉぉ!! 怒りを溜めるんだ(ユピー的な意味で)!!


てか、電話対応の常識知らないとか、そういう感じなのは初回の電話で何となく伝わってきたので、面倒だとは思うけど、頼むから親御さんとか周囲の方に相談して、事故起こした時どうすればいいか的なのを聞いてから、俺への対応してください。
なんかこっちから、自転車事故でも個人賠償責任保険使えますよとか説明したけど、面倒だし、「そういうの使って金払えや」って指示してるみたいで嫌なんすよ……。


あー、まぁ結論としては、事故はしないに限りますホント。
怪我して痛いし、精神的にもキツイし。

スーパーライト級4回戦、応援ありがとうございました。

3月30日に行われたJBCスーパーライト級4回戦、沢山の応援ありがとうございました!
みんなの応援で、なんとか勝利することができました!!
第3ラウンド、俺が左眉の上を出血しドクターストップかと危ぶまれましたが、続行。逆転KO勝ちに漕ぎ着けることが出来ました。
試合を振り返ってみると、3ラウンドの相手の右ストレートで、よくKOされなかったなと、自分でも不思議なくらいです。
皆様の応援のおかげで、何とか意識を繋いで勝利をもぎ取ることが出来ました。


結局、試合後病院へ直行、六針縫うという醜態をさらしてしまいましたが……。
次こそは無傷で勝利出来るよう、これからも日々努力努力で頑張ります!!


3月31日今日。
一日経って腫れが酷くなってます。
毎度毎度、打たれて腫れた顔を見ると、試合したんだなぁって実感しますw
もうちょっとディフェンス上手くして、打たれないで勝つ試合運びを身につけないとなぁ

歩いた。その他近況報告

自転車のクランクが走行中外れた上に、フィキシングボルトが無くなったので、買ってきた。

スポーツサイクルを扱っている店に片っ端から電話するも、環八のチェーン店の店員は「置いてるかわかんないっす」的な対応で、近くに出来た店の店員は「ホローテックのボルトで径が一緒だから合うんじゃないっすか」的な対応。
合うわけねーだろ。いや知らないけど。


結局、上北沢の我楽という自転車屋さんに在庫あるとのことで、歩いて行ってきた。片道約1時間。
こういう、500円程度のパーツを買うだけの客ってのは、お店にとっては金にならないから、あまり良い客じゃないんだろうなーと、申し訳なく思いつつ購入。


で、無事ボルトを締めて、修理完了。
脱落したクランクをはめて、ボルト締めるだけの単純作業。



話は変わるが、最近コーヒーをよく飲む。

ミルク泡立てる奴が割と活躍。


あ、あと無職になりました。

ネットサービスの「終焉」

ネットサービスに限った話じゃないけど。

人が増えれば「終わる」

と書くと、「マイナー志向お疲れ様です」って話だと誤解されて終わってしまいそうだが*1
2chにしろtwitterにしろ、ユーザーが増えてくると、「そろそろtwitter終わったな」的な話が出てくる。
で、じゃぁ、なんでユーザーが増えると「終わったな」と言われるのか考えてみましょう、という話。
「終わったな」ってのに同意出来ない人は、これを単純に「マイナー志向の、選民意識持ったアホが、テメーが使ってるサービスが一般化しちゃったのが気にくわないって話でしょ」と受け取りがちだけど、実は本当に「終わってる」物があるんじゃないのかなーと。

「終わる」のはサービスその物じゃない

で、当たり前だけど、「twitter終わったな」と言われても、twitterのサービス自体が終わったわけじゃない。
当たり前だけど確認しておきたいのは、この「twitter終わったな」という発言は、ネットサービスとしてのtwitterの終焉自体を指しているわけではないということ*2
だから、「twitter終わったな」という発言に対し、「ユーザー増えてるから絶好調だよ!」という返し方は、言葉としては正しいけれど、文意としては正しくない。


じゃぁ、「終わったな」と言われる時の「終わった」物とは何なんだろうか。
前述したとおりtwitter自体は終わってないわけだから、正確には「twitter(の中にあった何かが)終わったな」「twitter変わったな」という言い方が正しいわけだけど。

twitterの場合

twitterが「終わったな」といわれる理由は、ユーザーの増加によるって前提で。というのも、twitterが出来てから今までで、そこ以外にさほど変わったところがないため。
実際には、公式アカウントが出来たとか、知名度が上がったとか、メディアに取り上げられるようになったとかあるけど、それは全てユーザーの増加に起因することなので、「ユーザーが増えた結果」の一部として見ることにする。
公式RTやlistなどの機能拡充は、また別だけど、この辺の機能拡充を指して「twitter終わったな」と言う論法は見たことがないので、取り上げない。


で、twitterが出来た当初をあまり知らないので、2008年と今の比較になるが、確実に変わったなと思うのはユーザー増加によるユーザー層の変化。
企業アカウントなんかにしてもそうだけど、一般アカウントにしても。
これを言い出すと、「利用開始が早い奴が偉いのかよ!」と勘違いされそうだが、そういう話ではないと予め言っておく*3

ユーザー層の違い

ネットサービスを初期に利用し始める層というのは、大抵が新しい物好きだったり、ネットを良く使っている人だったりする。
というのも当たり前の話で、まだそれほど話題になる前に、新しいサービスを使い始める人というのは、当然その分野に興味があったりしてアンテナを張ってる人になる。
そういう人たちの間で話題になって、そういう人たちの知り合いも参入してくるまでが、初期段階。
これはネットに限った話じゃなく、飲食店なんかでも同じだ。
頻繁にラーメン食べ歩きをしているようなラーメン好きほど、新しいラーメン店が出来たことに気がつくし、そこで食べるのも早い。
で、それが美味しければ、そのラーメンフリークのコミュニティで話題になって、知り合いが食べに行く。
そこで美味しければ、更に話題になって、ラーメン好き以外の間でも話題になる、といったように。


それと同じで、twitterも、最初はネットのコアユーザーの間で広まって、徐々にライトユーザーに広まったわけである。
じゃぁ、コアユーザーとライトユーザーはそんなに違うのか。コアユーザーがそんなに偉いのか。というと、そういう話じゃない。
そういうところよりも、民族性や国民性みたいな部分の話なんじゃないかなぁ、と思うわけである。

マスになれば収束する

たとえばblogのバトンなんかにしても、mixiの足跡巡回にしても、他のコミュニケ―ションサービスでコメントつけ合うとかにしても、自然と流行した物だ。
これって要するに、大多数がその方が良し・その方が心地よいコミュニケーションが出来ると思ったから、流行ったり主流になったりしてるわけで。
かなり強引な言い方になるけれど、つまり「空気読め文化」が主流なのだ。少なくとも、日本では。多分。


じゃぁ、最初にネットサービスを利用するようなコア層は、「空気読め文化層」ではないのかと言うと、必ずしもそうではない。しかし、インターネットの特性の一つとして「空気読め文化を強要されないで済む」というのがあるので、コアユーザーの中には当然「空気読め文化」を嫌う人が多い。
つまり、比率として、コア層の中の「空気読め層」はメインストリームではない。故に、そのユーザーの中で出来る雰囲気や文化というような物も、「空気読め文化」とは違った文化になる。


だが、ここにユーザーが増えるとどうなるだろう。
世の中は、圧倒的に「空気読め層」の方が多い。となれば、ユーザーが増えれば増えるほど、ユーザーの中の「空気読め層」の比率は上がる。
そうしてユーザーの増加が、特定の崩壊点を超えると、そこに流れる文化の(主流の)気質は独特な物から「空気読め層」の物へ変化するのではないか。
その時に出る言葉が「○○終わったな」なのだろう。

再三言っておくけど、どっちが偉いとかの話じゃない

改めて言っておくが、別に先にtwitterやってた方が偉いとか、先にmixiやってた方が偉いとか、先にネットやってた方が偉いとかの話ではない。
ただ、「先にやっていた層」は、世の中全体で見ると少数で、その少数の者たちが集まって「あ、ここの雰囲気、俺に向いてる」と思って集まっていても、そこに多数派が大挙して押し寄せればあっという間に、「多数派の物」になってしまうのだ。それだけのことだし、極当たり前のことだ。
そしてその時に失われる、少数派の文化こそが「終わったな」と言われる物である。


まぁtwitterの場合、幸い、人が増えようが、メジャーになろうが、自分がそういった層をフォローしなければ良いだけなので、少数派もあまり困らない。
しかし、古くからtwitterをやっている人は良いが、そうでない人にとっては大変である。


twitterのユーザーを、「空気読め層」と「それ以外」*4で二分するなら、初期のユーザーは「それ以外」が多かったと言える。
新しいネットサービスに積極的に飛びつくような、世間的少数派ばかりだったのだ。自然、自らも少数派なら、仲間を捜すのも容易だった。
だが、ユーザーが増えたらどうだろう。
世間の少数派はtwitterの中でも少数派となり、新しく入ってきた者がそれを見つけるのは困難になる。更には同時期に始めた人の中でも、少数派の比率は当然低くなる。
人が増えれば増えるほど、マイナーな趣味嗜好の奴は、仲間を増やすのが困難になるのだ。
そしてこれは、古くからやっていた人間たちの停滞をも生み出す。


そうしてまた「○○終わったな」という言葉を残し、人々は別な安息の地を探して、移住していくに過ぎない。だが自分たちが多数派でない以上、永久に定住の地は見つからないのだ*5

*1:まぁ、結局はマイナー志向という話になるのかも知れないけど

*2:むしろユーザー数が増えて一般化した際に使われることの方が多い

*3:ああ、こういう前置き面倒くせぇ

*4:別に呼び方は何でも良いんだけど

*5:書いてる途中でどうでも良くなってきたので終了

「否定からは何も生まれない」の否定。

何年か前から、国内及び国外で災害があると、「ネットで有志を募って〜を送る」なんてのを目にするようになった。
確か中越地震の時にも、「俺近く住んでるからバイクで食い物届ける」とか「俺近くじゃないから、バイクで届けるって言ってる奴にカップラーメン送るわ」みたいな感じで、ネット上で話が盛り上がってた。
携帯端末持ったバイク乗りが現地を見て、必要な物をネット上で報告して、その情報を見た人間が協力する形。
たしかその時も「やらない善よりやる偽善」みたいな言葉が出てたと思うけれど、はっきり言って、この言葉、嫌いだ*1

「やる偽善

「やる偽善」が偽善である内は問題ない。
この言葉は本来、
「我が身を投げ打って善を行うなんて出来ない」→「じゃあやらない」になってしまうよりも
「なら、偽善でいいから出来る範囲でやればいいじゃない」「偽善ならそんなに負担にならないじゃん」「偽善やろうぜ」の方がマシだ、
という意味だと、僕は解釈してる。


「困ってる人が新潟にいるんだから、協力しに行けよ!」と言われても、皆そう出来るわけじゃない。本当に「善」を言うならするべきなのだろうし、物理的に不可能なわけじゃない。
だけど、僕らは「やらない」。
なぜなら僕らには自分の生活があって、自分のことの方が他人のことより大事で、自分の明日の食費を削ってまで食料を送るなんてことは、やりたくないからだ。
だからこの時点で僕らは、「善」じゃない。表面的には新潟の人のことを心配しつつも、本当は自分のことの方が遙かに大事な偽善者だ。
でも、そんな偽善者の僕らでも、「偽善」なら出来る。
衣食住が足りて、ちょっと余ったお金を募金したり、暇になった時間をちょっと手伝いに充てたり、そういった「自分の生活を脅かさない範囲での協力」なら出来るのだ。


財布に100円しか入っていない時に、10円募金するのはキツイ。でも、財布に1万円入ってる時ならば、10円くらいなら募金できる。
それを指して「偽善じゃねーか」と言われれば、その通りだ。で、そこで「ああ、所詮偽善なんだからやめよう」ではなく、「偽善でもやった方がマシ」という意味なのが、「やらない善よりやる偽善」だろう。

「やる偽善」という名の「やる害悪」

で、そんな「やる偽善」だが、一人歩きするといつしか「やる害悪」になる。
そもそも偽善ってのは、キモチイイ。「いい人」を演じるのは、多くの人にとって快感だ。
偽善」ってのは、要するに自己満足である。「僕の行動であの人が助かった。嬉しい!」という。
ここで想像力が欠如すると、簡単に「偽善」は「害悪」になる。


「他人のためになる行動をしている自分、キモチイイ」という行動原理自体は、否定しない。
問題は、「他人のためになる行動をしている自分」というのは、あくまで主観的な物であり、「他人のために〜」の部分で想像力を働かせないと、ただの独りよがりな「他人のために行動しているつもりの自分」にしかならない点だ。
丁度、ハイチに千羽鶴を送っちゃう人たちみたいに。
重度の花粉症の人間を、「ほら、家で塞いでたら気が滅入るから、山に行こうよ!」と杉花粉飛び散る中に連れ出すのは、迷惑以外の何物でもない。
それは決して「やる偽善」なんかではなく、「悪」だ。
無知から来る、あるいは想像力の欠如から来る、悪だ。
「相手のためを思ってやったことだから」と言い訳したところで、「相手のためを思うなら、なぜ『それをやられて迷惑になるかどうか』を考慮しなかったのか」という話である。

「やる害悪よりやらない善」

「やる偽善」が最早「やる害悪」になってしまった時、「やらない善よりやる偽善」という論法は通用しなくなる。それは最早、「やらない善よりやる害悪」と言っているのと同じだからだ。
「やらない善」は何も生み出さない。プラスにもマイナスにもならない。
対して「やる偽善」は偽善なれどプラスになる。だからこその「やらない善よりやる偽善」だ。
だが、「やる害悪」はマイナスしか生み出さない。「何もやらない」ことより、遙かに悪だ。
「やる害悪」を否定された時に、「何もやらないよりはマシ」という人がいるが、それは明らかに間違っているのだ。
「何もやらない方がマシ」なのである。


普段生活していると、身の回りで「否定からは何も生まれない」「とりあえずやってみないと」という意見を良く聞くけど、「状況を悪化させる」よりは「何もやらない」方が遙かにマシで、「状況を悪化させようとしている人」を止めるのは、マイナスを未然に防ぐという意味がある。
間違ったことや、間違ったことをやろうとしている人に対し、「正しいこと」の代案を提示出来なくとも、「それは間違っている」と否定するだけでも、状況を悪化させずに済ませるという効果がある。


否定からは何も生まれない。
だが否定により、未然に損失を防ぐことは出来る。
そして、損失を生む行動よりも、損失を防ぐ行動の方が、遙かに重要だ。

*1:ちゃんと読んで貰えば判るが、例に挙げた新潟中越地震の件は、立派に「やる偽善」なので素晴らしいと思う

iPadがいい意味で期待外れだった件について

日本時間1月28日午前3時から開催されていた、appleの新製品発表イベント。
iTablet、あるいはiSlateと呼ばれる、appleタブレットネットブック登場か!? と言われていたわけだが、見事に予想を外した製品が登場した。
少し太って健康的になった? ジョブス*1が発表したのは、iPad
これはネットブックというよりは、完全にiPod touch及びiPhoneの延長の製品。
iPadのプロモ動画
http://www.apple.com/ipad/ipad-video/


価格

  16GB 32GB 64GB
Wi-Fi 499ドル 599ドル 699ドル
Wi-Fi+3G 629ドル 729ドル 829ドル

iPadの方向性

最初に僕の感想を言っておくと、この指向は正しいと思う。今回のiPadが商業的に成功するかどうかとは別に。
というのも、ライトユーザーを取り込むには、WindowsMac共に「複雑過ぎる」のだ。CPUにAtomを積んで、WindowsXPを搭載したネットブックも、当然PCであり、ライト層を取り込むような「家電」に近い物ではない。
その点、iPhoneiPod touchPCMacに比べて遙かに簡単である。
アプリケーションのインストールから使用まで、自由度はPCMacと比較して遙かに低いが、自由度が低い故に、一貫した操作で簡単な物となっている。*2
現状、ネットブックは、所詮「性能の低い・安いノートパソコン」でしかない。
iPhoneを使うようになってノートパソコンをあまり持ち歩かなくなった、というような人には、今回のiPadはかなり良い製品だろう。
また、今まであまりパソコンを使っていなかった、複雑過ぎて使うのをやめた層にも、良いと思う。

iPadで何をするか

一方で、「こんなの出ても使い道わからんわ」という声も聞こえる。
おそらくそれは、「Macネットブック」を期待していたからで、「iPhoneiPod touchの大きい奴」だと思えば、色々な使い道が想定出来るのではないかと思う。
発表でもあったように、MacBookiPhoneiPod touchとの間を埋める製品だが、どちらかと言えばやはりiPhoneiPod touchに近い。
ソフトウェアキーボードにしても、iPhoneでは画面が小さくてqwertyキーはイマイチ使い勝手が悪かったのだが、iPadのサイズなら十分に使い物になるだろう。
アプリケーションにしても、解像度が上がったことや、iWorks for iPadにより、iPhoneより遙かに使い勝手が良くなることが容易に予想できる。


簡単に言ってしまえば、画面のサイズやスペックが向上したiPhoneiPod touchでしかないとも言える。
でもそれだけで、iPhoneiPod touchを使っていた人にとっては「ああ、今まで不便に感じていたあの部分を埋められる!」と想像出来る。
個人的に、Flashに対応しないのは、やっぱり致命的というか、ネット閲覧だけを考えても大きなデメリットだよなぁ、と思うが。

電子ブックの時代が来る! といいなぁ

iPodが普及し、iTunesが普及したことで、パソコンでiTunesを起動して、iTunes storeで音楽を買う、というのが当たり前になった。
バイスに入れるコンテンツを、ネット経由で買うことが一般化した、と言える。
次にiPhoneiPod touchが出て、パソコンなしに、iPhoneiPod touchというデバイスのみでコンテンツを買うことが出来るようになった。
今回のiPadも、その延長線上である。
iPod touch青空文庫リーダーなどのアプリを入れて使ってみるとわかるが、やはり画面のサイズが小さい。
というか、最低限、文庫本を開いた時と同程度のサイズがないと、読みづらい。
Kindleもそうだけれど、電子ブックを読むには、9.7インチサイズのディスプレイというのが妥協できるラインなんだと思う。


で、その電子ブックだけど、もう当たり前のように日本は置いてきぼりになっているわけで。
iPodが普及したことで、音楽業界が重い腰を上げなければならなかったように、iPadの普及で、出版業界も変わるといいなぁ、と思う。

まぁ多分買わないけど

iPadにしてもiPhoneにしても、基本的にはコンテンツを利用するためのデバイスであって、コンテンツを作成するためのデバイスではない。
iWorkのおかげで、多少は仕事や作業に使える物になるだろうけれど、やっぱり「本腰入れて仕事に使うならノートパソコン使え」となるわけである。

  • 外ではノートパソコン必須って程の作業はしない
  • でもiPhoneiPod touchではちょっと力不足を感じてる
  • だから仕方なくノートパソコンも持ち歩いてる

こんな人にはぴったりだろうけれど、「メインで使ってるパソコンに近い環境を外で使いたい」という人にとっては、iPadは選択肢に入らないのである。


で、屋内使い・屋外使い共に考えても、やはりiPadはパソコンではないという結論になる。当たり前だが。
iPadは、パソコンでもない、携帯でもない、ネットを見られる第三のデバイスとして捉えるのが、一番いいんじゃないかなぁ、と思う。
で、携帯よりも色々出来て、パソコンよりも簡単な、まさに隙間を埋める物としての立ち位置。

iPadがどの程度普及するのか

iPadは、確実にパソコンよりは身近に使えるだろうし、iPadが普及すればよりネットが身近な物になるだろう。
ユビキタスにより一歩近づいたのは、事実だと思う。
買わないけど、頑張って欲しいと思う。
PSPNintendoDSのように、みんながごく当たり前に使える・使ってるデバイスになると、もっと世の中面白くなるんじゃないだろうか。


たとえば、大学でiPadを持ち歩くのが当たり前になって、みんなが紙のノートではなくiPadを使って、講義も資料やビデオが手元のiPadに送られてくる、とか、想像しただけでワクワクである。

余談。AT&Tの料金プランが素晴らしい

iPadの話ではなく、AT&Tの料金の話になるが、同時に発表された、AT&TiPad向けデータ通信プランが素晴らしい。
この低価格は、おそらくiPhoneでのデータ通信の実績や、iPadのサイズを考えて、3G通信よりWi-Fiでの通信がメインになると考えての価格設定なのだろうか。
データ通信、月250MBまでで14.99ドル。
250MB以上はデータ転送料無制限で29.99ドル。
更にAT&TWi-Fiホットスポットが無料利用可能。


多分買わないとか言ったけど、日本で出る時にこの位の価格で利用できたら、買っちゃう。
3G通信で29.99ドルで無制限って、日本だったら国内最安値じゃないか。
でも、日本ではこの価格ではデータ通信させてくれる会社ないだろうなぁ……。

*1:新製品にあまり興味はなくとも、健康的になったジョブスが見られただけで満足した人は多いと思う

*2:JailBrakeすれば自由度は上がるが、当然複雑になる。自由度と簡単さというのはいつだってトレードオフ